Wednesday, August 2, 2023

過剰なAI報道が招く大きな誤解 AIと機械学習と混同していないか ... - DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

過剰なAI報道が招く大きな誤解

Illustration by Skizzomat

サマリー:AIの定義は非常に曖昧であり、多くの人がAIを機械学習と混同している。この曖昧さが、企業の機械学習プロジェクトを迷走させる大きな原因となっている。機械学習は具体的なオペレーションの効率化や予測分析に焦点を... もっと見る当てたものである一方、AIは広範な意味を持つため、機械学習によって目指す本来の目的から焦点がずれてしまうことが多いのだ。こうした状況に陥らないために、機械学習の真の価値を見極める必要がある。 閉じる

AIという言葉の意味を理解して使っているか

 最近の「人工知能(AI)技術の大躍進」に関するニュースは、機械学習の活用に拍車をかけるに違いないと、多くの人が思っているかもしれない。だが、事実は異なる。

 チャットGPTなどの生成AIが大きな話題になる前でさえ「最強のAIが登場」といった紹介の仕方は、応用機械学習にとって大きな問題になっていた。ほとんどの機械学習プロジェクトで、「AI」という言葉にばかり注目が集まっている。期待が異常に膨らみ、機械学習が実際にどのようにオペレーションを改善するのかが、あまり注目されなくなっているのだ。

 機械学習は、既存のオペレーションを効率化するために設計されるものであり、その最も実用的なユースケースは、シンプルな形のイノベーションをもたらす。テクノロジーが放つ輝きによって、根本的な役割のシンプルさを見失ってはいけない。機械学習の目的は、アクション可能な予測を示すことである。機械学習が予測分析と呼ばれることがあるのはそのためだ。「水晶玉のように極めて正確」などという誇大宣伝を避ければ、その本来の価値は予測分析にある。

 この能力は、さほど難しくない方法で、具体的な価値に変換できる。機械学習がもたらす予測は、オペレーションで必要となる何百万もの意思決定に影響を与える。

 たとえば、どの顧客がサービスを解約する可能性が高いか予測して、どのようなインセンティブを用意すればその顧客をつなぎ留めることができるかを、企業が判断しやすくする。あるいは、どのクレジットカード取引が不正か予測することにより、カード業者が不正利用を排除しやすくする。既存のオペレーションに最大のインパクトを与えられるのは、機械学習の実用的なユースケースである。そして、このようなプロジェクトが活用する先端データサイエンスこそが、機械学習なのだ。

 ここで問題が生じる。ほとんどの人が機械学習を「AI」だと誤解していることだ。これはわからなくもない。しかし「AI」には、漠然性という「不治の病」が常につきまとう。「AI」とは、特定の手法や価値提案を一貫して指すわけではない、ざっくりとした意味の言葉なのだ。

 機械学習ツールを「AI」と呼ぶと、機械学習がビジネスの現場で実際にやっていることを誇張して売り込むことになる。何らかのツールを「AI」と呼んだところで、実際にできる以上のことは約束できない。この呼び方は、人間の知的作業を何でもこなすことができるソフトウェア「汎用人工知能」(AGI)を想起させる。

 このことは、機械学習プロジェクトが抱える大きな問題を悪化させる。ビジネスオペレーションの効率化という本当の価値から焦点がずれてしまうことが多いのだ。その結果、ほとんどの機械学習プロジェクトは価値を提供できない。これに対して、具体的なオペレーション上の目標に焦点を絞った機械学習プロジェクトは、その目標を達成する可能性が高い。

AIが本当に意味しているもの

「AI搭載」は、テクノロジー版の「100%天然」に相当する無意味な言葉だ。

──デビン・コルデューイ、『テッククランチ』誌

 AIは2つの理由により、AGIから逃れられない。まず、「AI」という語は、それがAGIのことなのか、狭義のAIのことなのかを明確にせずに、やたらと使われている。狭義のAIとは、つまり、実用的で用途が絞られた機械学習の運用を意味する。極めて大きな違いがあるにもかかわらず、一般的な話題やソフトウェアの販促資料では、その境界が曖昧になっている。

 第2に、AGI以外にAIを定義する満足な方法が存在しない。「AI」をAGIとは異なるものと定義することは、それ自体が(無謀な)研究課題となっている。AIがAGIを意味しないのであれば、何も意味しない──それ以外の定義は、「AI」によって暗示される野心的な意味での「知的な」の適格性を欠くか、客観的な目標を確立できない。この難題は、(1)「AI」の定義、または(2)コンピュータが「知的な」の資格を満たすかどうかを判断する基準、(3)真のAIであることを認定するする性能のベンチマーク、を定めようとする時に生じる。だが、この3つは同じものだ。

 問題は、「知能」という言葉にある。あるマシンを説明するために使うと、それは著しく曖昧な意味になる。AIはまっとうな領域であるはずなのに、これでは都合が悪い。目標が曖昧では、それを達成するための工夫もできない。定義がなければ、構築することもできない。何らかの装置を開発するためには、どのくらいよくできているか(性能や目標達成度)を測定して、開発が進み、目標に到達したことを把握できなければならない。

 テクノロジー業界はこのジレンマを克服しようと、私が「AIシャッフル」と呼ぶ、哀れな試みを続けている。「AIとは、賢いことができるコンピュータだ」(循環定義)。「いや、マシンにより示される知能だ」(ますます循環的定義だ。それが可能ならの話だが)。「いや、機械学習や自然言語処理やルールに基づくシステム、音声認識、コンピュータビジョンや、確率的に動作するテクニックを採用したシステムだ」(これらの方法を一つ以上を採用したからといって、自動的にそのシステムが知的となるわけではないのは明らかだ)。

 マシンが十分に人間らしく、たとえばチャットルームで質問した時、人間と見分けがつかないなら(有名なチューリングテストだ)、たしかに「知的」の資格を満たすだろう。しかし、人間を欺く能力というのも、恣意的で、基準が変わる尺度だ。というのも、人間の側は時間が経つにつれて、ごまかしに対応できるようになる。あるシステムが、チューリングテストに合格するのはせいぜい1度きりである。人間を2度ごまかすことができたら、それは人間の側が愚かなだけだ。そしてチューリングテストにパスすること(あるいはそれを基準にすることが)が的外れであるもう一つの理由は、その価値や有用性が限られているからである。AIが存在するのであれば、それは有用であるはずだ。

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