「無意識過剰」というのが、旧制湘南中学以来の親友だった文芸評論家、江藤淳(えとう・じゅん)の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんへの評である。だから「他人からああ思われはしないか、こう言われるのではないかと顧慮することがない」▲たとえば1999年の小紙のインタビューで石原さんはこう発言した。「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だって滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいい。好きな方、歌やあいい」▲東京都知事に当選後、この件を尋ねられ「それは誤解」と悪びれずに軌道修正したのはわずか2カ月後である。以後、都庁の行事で君が代が歌われるようになったのは、ご存じの通りだ。過剰な「無意識」の威力というべきであろうか▲無軌道な戦後世代の若者を描いた小説「太陽の季節」で、鮮烈な文壇デビューを遂げた若き石原さんだった。そのメディアヒーローのオーラを背に政界に進出、主に戦後社会に「NO」を突きつけるパフォーマンスで注目を集め続けた▲その政治家としての石原さんを危ぶみ「偉大なアマチュア」と評したのも江藤だった。「プロの政治家の凄味(すごみ)や泥臭さが欠如している」。その心情はどうあれ、結果責任がすべてという政治の論理は「太陽族」の本領でなかったようだ▲良くも悪くも他者を顧慮することなく、自らをアピールする「無意識」の力で戦後の最も勢いある時代を彩った石原さんだった。最後の政界引退で語った「晴れ晴れとした気持ち」にうそはなかったろう。
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