ことしも「1・17」がやってきた。阪神・淡路大震災が起きた28年前のあの日の深夜。刷り上がったサンケイスポーツ早版(締め切り時間が早い地域へ向けた新聞です)の見出しは「さらば、神戸!」だった。
壊滅した神戸市内。燃え続ける街並み。上空から写した衝撃的写真を見せられると、あの大きな街が復興するとは、とても思えなかった。
「さらば」。見出しどおりだなあ…と思いながら言葉が詰まった。
筆者の自宅は大阪市内の南部。幸いにして被害はほとんどなかった。すごい揺れで飛び起き、テレビをつけると、ニュースでは震源地は全く見当違いの場所だと報じていた。それだけ混乱していたのだろう。
公共交通機関はほぼストップ。高速道路も封鎖されていた。タクシーに飛び乗り、甲子園へ向かう。その時点ではまだ、ただ単に「阪神の自主トレ取材」をするつもりだった。
ところが、甲子園が近づくにつれて、車窓からの光景は地獄絵に。ペシャンコになった自宅を呆然(ぼうぜん)と眺めている人がいた。空き地に何人もが並んで横たわり、その周囲に心配そうに人だかりができていた。
高速道路のコンクリート片が次々と落下、私が乗るタクシーの天井にドンッ! と当たる音も聞こえた。生きた心地がしなかった。がれきを踏んでパンクした車もあちこちに。
これはヤバイ。もちろん、自主トレどころではない。思い出したのは子供の頃に見たテレビドラマ「日本沈没」だった。震源地は西宮かなあ。甲子園球場は絶対に崩壊しているだろうなあ。最近建てられたようなビルですらつぶれているんだから、大正時代の建造物が無事なはずがないよな。そう覚悟を決めた。
ところが-。
異様な静寂の中、甲子園球場はそびえ立っていた。あの日、唯一うれしかった瞬間だ。もちろん、アルプススタンドがゆがんだり、一部崩落した箇所もあったが、外観は変わることなかった。
この記事をシェアする
からの記事と詳細 ( 【阪神よもやま話 元虎番の独り言】甲子園球場は異様な静寂の中でそびえ立っていた 28年前の「1・17」の記憶 - サンスポ )
https://ift.tt/VvB452I
0 Comments:
Post a Comment