Tuesday, March 15, 2022

情報過剰は新たな脅威…[虚実のはざま]第6部私の提言<1> - 読売新聞オンライン

 ネット空間に真偽不明の情報が飛び交い、社会に混乱や不信を生む。その危うさをコロナ禍は浮き彫りにした。しかし、この問題に特効薬は存在せず、多角的な対策と継続的な議論が求められる。私たちはどう備えるべきなのか。シリーズの第6部では、各分野の識者が現状を読み解き、ヒントを提示する。

 人々に「情報源を確認しよう」と繰り返し呼びかけることは重要だ。しかし、それだけでは解決できない段階に来ている。私たちは「情報過剰」という以前とは根本的に異なる環境に置かれているからだ。

 発信の中心がマスメディアに限られていた頃とは違い、誰でも発信者になれる今、人々は膨大な情報に囲まれている。特定の分野で影響力を持つ「インフルエンサー」が無数に現れ、選択肢が多様化したのは良いことだが、根拠のない話やデマもあふれるようになった。真実かのように巧妙に装い、人を操ろうとする発信者もいる。

 しかし、増大する情報量に対し、人間の注意力や認知能力は限られている。SNSに流れる投稿の真偽確認に手間や時間をかけられる人は多くはない。

 そもそも一般の人には、調べるインセンティブ(動機付け)が働きにくい。人は自分の価値観や願望に合う言説に触れていたい習性があり、いくらでも自分好みのものが得られる環境で、あえて根拠を確かめる気持ちにはなりにくいだろう。

 まずは情報過剰の特性を理解し、新たな脅威ととらえる必要がある。

 今後、懸念されるのが政治や選挙への悪影響だ。

 米国では昨年、トランプ氏の支持者らが「大統領選で大規模不正があった」と主張し、連邦議会議事堂を占拠した。怒りをあおるような陰謀論がSNSで広がり、民主主義を揺るがした象徴的な事件だった。

 日本でも政治家らのSNS発信が日常的になった。極端な意見が拡散し、対立を生む傾向が強まっている。有権者の判断がゆがめられる危険性は十分ある。

 個人のリテラシー(読み解く能力)だけに任せるのは限界で、情報空間自体の汚染を食い止める方策を考える必要がある。

 問題がある投稿を国が規制すればいいと考える人がいるかもしれないが、「表現の自由」の観点から慎重であるべきだ。フェイスブックを運営するメタやツイッター、グーグルなどの「プラットフォーマー(PF)」が自主的に対応することが重要になる。

 2020年、総務省の有識者会議の提言を受けた形で、専門家とPFで偽情報対策を話し合う協議会が設立された。私もメンバーとして参加しているが、PF各社は消極的だと感じる。

 各社は「独自のルールで不適切な投稿などを削除し、信頼性の高い情報が表示されるようにしている」と主張するが、日本語圏での具体的な基準やデータはほとんど開示されず、対応を検証することが難しい。

 基本的にPF側には義務はなく、PFの責任を定めた何らかの法的ルールを整備する必要があるのではないか。良質な情報空間を守るために、社会で危機感を共有しなければならない。

 虚実の境界があいまいになってしまうほど、情報が氾濫している状態は「インフォデミック」とも呼ばれる。インフォメーション(情報)とエピデミック(流行)を合わせた造語で、世界保健機関(WHO)が警鐘を鳴らし、注目を集めた。

 デロイトトーマツコンサルティング(東京)は、個人がネットを通じて受信するデータ量などから「情報伝達力」を試算している。2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した時と比較すると、20年は68倍になっていた。

 米マサチューセッツ工科大の研究チームの調査によると、SNS上では、事実よりも誤情報のほうが6倍早く拡散するという。

 喜怒哀楽が含まれた情報は広がりやすいと言われており、特に「怒り」は拡散力が強いとされる。

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