Wednesday, July 29, 2020

地域金融機関の地域への貢献とは何か(森本紀行) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

 地方銀行や信用金庫等の地域金融機関は、自分が基盤を置く地域に貢献すべき社会的責務を負う、地域金融機関自身も、金融庁も、当然のこととして、そう信じているようですが、商業の王道としては、合理的な利益追求こそが社会貢献であって、それを超えた貢献の責務などあり得ないはずです。

 

 地方銀行等の地域金融機関においては、預金額が融資額を大幅に超過する状態が定着していて、その解消の目途は全くありません。この事態は、普通の商業に譬えれば、売れる見込みのない在庫を大量に抱えているようなもので、しかも、現在の金利環境下では、その過剰在庫を運用することもできないのですから、地域金融機関は極めて深刻な構造的危機に陥っているわけです。

 この危機に対する金融庁の施策としては、預金の縮小、融資以外の運用対象の拡大、融資の創造の三つの方向があり得ます。なかでも、重点施策となっているテクノロジーによる預金からの決済機能の分離と、個人の金融資産の保有形態を預金以外の投資信託等へ移転させることは、預金削減の切り札であり、また、融資以外の投資対象の拡大も、資産運用の高度化という名のもとで重点施策となっています。

融資の創造

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 そもそも、融資の積極的な創造というのは、真の需要を超えた創造になるときは、過剰な不動産関連融資か、過剰な消費者ローンになるほかなく、金融庁としては、むしろ取り締まりの対象になることです。故に、融資の創造は真の需要の創造でなければならず、それは経済を成長させることに帰着するのですから、地域金融機関の地域産業振興に対する貢献という課題が生じるわけです。

 しかし、地方銀行や信用金庫等の預金取扱金融機関は最高度に規制されていて、業務範囲が厳しく制限されています。そこで、地域の産業振興とはいっても、金融面での支援に限られ、その方法も原則として融資に限られますから、金融面での支援を超えて地域産業振興のための活動を行っても、費用が直ちに発生するにもかかわらず、自分の事業収入に直結させることはできないわけです。

 もちろん、間接的には、そして長期的には、地域産業が振興してくれば融資需要が創造されるわけですが、本業の収益基盤が崩壊に向かうなかでは、産業振興活動の経費負担は次第に耐え難いものになっていくでしょう。故に、非金融業務を可能にする規制改革となるのです。

非金融へ

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 地域金融機関は、資金不足の過去においては、融資の狭い枠に閉じ籠っていても、顧客の利益のために働くことができ、地域に貢献できたのですが、資金過剰の現在においては、一旦は融資を捨て去り、顧客の真の利益の視点にたって何ができるかを深く考えたうえで、改めて融資を一つの要素とした総合的な事業の再構築を行うほかありません。

 金融庁は、このことを持続可能なビジネスモデルの構築といっていますが、持続可能というのは、預金を集めて融資をするという現在の事業構造に持続可能性のないことを前提にしており、また、ビジネスモデルというのは、顧客の利益のためになり、地域経済のためになるという条件のもとで、融資の枠を超え、非金融業務に踏み込むことをすら許容する意味だと考えられます。

 しかし、地域金融機関が中心になって地域経済を主導するというのは、本来は、おかしいのです。地域金融機関が地域経済の中心にあるのは事実でしょうが、だからといって、地域経済の主役でないことも事実です。地域経済の主役は地域金融機関の顧客、即ち地域の事業者なのであって、地域金融機関は舞台の裏方にすぎないのです。ただし、地域経済振興を組織的に、計画的に、効率的に行うためには、舞台監督が必要であり、その適任は地域金融機関なのではないかという論点は残ります。

確約と顧客本位

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 地域金融機関は、監督というよりも調整役として、地域社会に対して地域経済のあるべき姿を提示し、批判や意見を集約し、その結果をいれて、未来像を進化させて、再提示する、この手続きを繰り返すことで、地域における共通の意思を形成することに貢献できるはずですし、逆に、それ以上のことはできないはずです。しかも、単なる調整だけでは不十分で、先に確約が必要なのです。

 地域金融機関としての確約とは、地域社会から与えられた課題解決のために最善を尽くすことの確約であって、この確約が先にあるからこそ、地域社会は課題を提出することで、主体的に参画するわけです。そして、この確約こそが金融庁のいう顧客本位の業務運営なのです。

 では、金融庁は地域金融機関に何かを確約しているのか。金融庁は、金融の中心にあるにしても、主役ではなく、まさに舞台の裏方なのです。そして、かつては極めて強力な舞台監督であったのですが、現在では、むしろ調整役に徹しています。つまり、金融庁は、金融の未来像を示すだけで、その実現は各金融機関の自主自律に委ねているわけです。

 しかし、単に委ねるだけでは変革は起きないわけですから、金融庁として、金融機関の自己変革を促すために、金融機関が変革において必要とする制度面の手当てについて、その実行を確約しているのです。金融庁が確約しているからこそ、金融機関は金融庁に提言できるのであって、この金融庁と金融機関との間の関係は、いわば金融機関本位の関係であって、これを金融機関と顧客との間の関係に適用したものこそ、顧客本位の業務運営なのです。

確約と対話

 金融庁は、金融機関との関係のあり方を対話と表現しています。対話は、単なる会話ではなくて、行政の方法論ですから、具体的な成果を生むための構造を備えていなければなりません。それは、おそらくは、三つの要素、即ち、仮説、決断、確約からできているのです。

 まず、金融庁は、金融の将来像についての概念的な仮説を提示する、金融機関は、それを具現化し、自分自身の金融の将来像として提示する、それに対して、金融庁は更なる概念的整理を行う、この反復を通じて、概念的に緻密化されると同時に具体化された金融機関の将来像が共有されます。

 そして、各金融機関は、金融庁と共有された将来像の実現を、自分自身の決断において経営計画として採択し、金融庁は、その実現のために必要となる制度上の手当てを確約するのです。地域金融機関の場合は、この対話を金融庁と行うのと並行して、顧客である地域社会との間で全く同じ構造の対話を行わなくてはならないわけです。

ソクラテスの対話

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 対話は哲学であり、その原点はソクラテスです。ソクラテスの対話は産婆の術といわれ、対話を通じて、対話の相手、いわばソクラテスの顧客は、自分のものとして、自分の決断として、対話の成果を自分で産み落とすのです。これが学習の本質であって、教育と根本的に異なるところです。

 この対話において、金融庁との関係では、決断は常に金融機関のものであり、金融庁は金融機関の決断に対して支援を確約するのみであり、地域金融機関との関係では、決断は常に地域社会のものであり、地域金融機関は地域社会の決断に対して支援を確約するのみです。

 しかし、このような高度な対話は簡単ではありません。金融庁は、対話を促すために、心理的安全性といって、金融機関の主張を謙虚に聞く姿勢を示し、金融機関との対話における対等性を強調しているわけですが、おそらくは金融機関の自主自律を尊重しようとするあまり、対話の起点となる肝心の仮説を提示できていないので、個々の金融機関との意味のある対話は、始動していないのではないかと懸念されます。

 地域金融機関としても、金融庁から方向性が示されないなかでは、持続可能なビジネスモデルについて、自分のほうから金融庁に対話を仕向けることは極めて困難であり、こちらの対話が進んでいない以上は、地域社会との対話も進んでいないと思われます。

持続可能な利益

 地域金融機関にとって、実行可能で持続可能なビジネスモデルを構築することは難易度が著しく高いわけですが、精神論として地域貢献の理念を掲げることは極めて簡単で耳障りのいいことですから、誰もが声高に叫ぶのは当然です。

 また、利益との関連を意識しないのなら、理念を超えて様々な活動を実践することも難しくなく、お祭り騒ぎのようなことが氾濫するのも避け難いのですが、そのような思い付き的な活動では、単なる費用の増加になるだけで、成果につながることは期待できません。故に、金融庁は、持続可能なビジネスモデルといってきたはずです。

 地域金融機関にとって、利益のあがっていることがビジネスモデルの機能していることの証明であり、真の地域貢献ができていることの証明です。ただし、利益は持続可能でなければならない、このことを突き詰めるのがビジネスモデルの構築なのです。

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