
コロナ禍において巻き起こった、トイレットペーパーの買い占めや自粛警察の出現。”自粛疲れ”は、ウイルスへの恐怖や環境の変化に対して起きたばかりではない、流れるデマに振り回さること、そして、自分の行動が批判の対象になるかもしれない……恐怖心が国民の疲れを加速させたのだ。 人びとはどうして他人の行動に目を光らせ、あたかも警察のように振る舞ったのか。相互行為論の視点からコロナ禍の人びとの行動を改めて考察する(聞き手:『Voice』編集部)。 ※本稿は月刊誌『Voice』2020年7月号に掲載された、是永論氏の「『想像』を脱し、データの現実活用を」より一部抜粋・編集したものです。
自粛警察の妄想を止める鍵は、データ活用
自粛警察を演じる人びとが、「他者の取り込み」をしていることを説明した。それを考慮したうえで、私たちはコロナ禍がもたらしている状況にどのように対応すればよいのだろうか。 一つは、極度に「他人の立場」を意識しない、ということがある。端的にいえば、メディアやSNSの情報にふれることはそれだけ「他人の立場」に自分を晒すことになる。 いわゆる「自粛疲れ」とは、たんに生活行動が制限されるだけでなく、想像上の「他者」への対応が求められるなかで、自分の行動をどのように定めてよいのかが不確かになってしまうゆえの疲弊であるともいえる。 だからといって、個人が自粛も省みず気の向くままに行動すれば、状況の悪化をもたらしかねない。こうしたジレンマは休業要請にもかかわるものである。 つまり、休業によって個人が損害を受けるとき、その損害は、感染防止としての他人に向けた「立場」について理解されるが、他方で、もし自分だけが休業で損をしていることになったら、結局は他人に出し抜かれるだけなのではないか、という「立場」も意識させる。 日本の場合、外出禁止のような強制的な手段以外で、こうしたジレンマの調整が政治に求められているのだが、現在の行政の対応を見るかぎり、その調整基準は漠然とした「他者への配慮」だけに求められている。 そのような対応では、現実の行動やその利害を調整するような機能を充分には果たし得ず、逆に、人びとの過剰な反応や疲弊も招くことになる。
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July 11, 2020 at 04:07AM
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“自粛警察“の過剰な妄想を生んでしまった「日本の問題点」(PHP Online 衆知(Voice)) - Yahoo!ニュース
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