つくば国際会議場
筑波研究学園都市中心部にあるつくば国際会議場(エポカルつくば)は、1999年に開館した。学園地区の公共建築整備のガイドラインの一つであり、周辺の公園や市街地に圧迫感を与えず、街並みと融合するような軒高を与えられている。この施設の建設に当たって民間から、現在つくばセンタービルの改修を手がける坂倉建築研究所が参加したが、設計主体は茨城県土木部営繕課だ。
現実超えた過剰性
【鵜沢名誉教授コメント】つくば市で坂倉建築研究所が実現した最大の建築空間。国際会議場という特異な施設機能がつくばで成立しうるか否かについては、計画当初から熾烈(しれつ)な議論があった。そうした議論をねじ伏せるかの如く、茨城県が推進したこのプロジェクトを坂倉建築研究所は具体的な空間としてデザインした。この施設の膨大な空間的ボリュームを、都市と調和的に馴染ませる空間配置の設計手法は、成功したかに見える。
しかしながら、既に計画当初から指摘されていたこの施設の特殊性が、竣工直後からすでに問題を顕然化させることとなった。つまり、つくばの地に主要な国際会議が招致できないというジレンマに直面することとなった。茨城県の潤沢な予算を受けて坂倉建築研究所が設計した国際会議場という施設は、街の風景に紛れてはいるが、有効活用されぬままに、つくばの過剰な施設となった。
国際会議場の充実した設備は、繰り返される小規模の集会程度では、完全に消化不良をきたしている。ここでしばしば開催されている、和服の着付け教室やら美容講座など、目を覆いたいほどの現状である。現実を超えたこの施設の過剰性がこの建築の全てであり、茨城バブルの建築的象徴である。
つくば市に坂倉建築研究所が実現した多数の建築群の中でも、その初期の南1駐車場の設計思想と比較すると、この国際会議場には明確な設計理念は認められない。ぜいたくな仕上げ材やほとんど人気のないうつろで巨大なホワイエなどが目立つだけである。つくば市の国際会議場という非日常的な機能を、新たな建築的空間として提示し得なかっただけでなく、単に都市の風景の中に埋没させただけである。
東京都に続き設計競技方式を駆使
【建築散歩】地方自治体による公共建築設計は、80年代に東京都財務局が設置した建築設計候補者選定委員会が、若手建築家の発掘や国際レベルの設計競技を実施し活躍した。この動向に続いたのが茨城県。土木部営繕課が様々な設計協議方式を駆使して、県内の大型建築でそれにふさわしい設計者を選出した。県土木部には内製で設計を手がけるという事例もあり、地方公共団体としては優秀な技能士職員が育っていた。
国際会議場もそのひとつ。この当時、営繕課担当者からうかがったエピソードは「会議場の1階空間を通して、建物内外の壁や窓の感覚的な隔たりを無くしたい」というものだった。その発想が、1階フロアの広々とした間取りと、そこから眺めることのできる竹園公園やつくば公園通りとの連続性をもたらしているが、樹木が成長した現在は、2階フロアからの眺望が、学園都市の緑被率の高さを再認識できる。(鴨志田隆之)
からの記事と詳細 ( 自治体営繕課による意欲作【つくば建築散歩】3 - NEWSつくば )
https://ift.tt/TQGgSjf
0 Comments:
Post a Comment