【北京=白山泉、新貝憲弘】27日に急逝した中国の
◆習近平氏と路線違い、晩年は冷遇
中国共産党のエリート養成機関とされた共産主義青年団(共青団)でトップを務め、早くから次期最高指導者の最有力候補とみられていた。2007年の第17回党大会では記者団を前に、資料に目を落とすことなく自信たっぷりに自説をまくしたてたが、政治家というより有能な官僚のような印象だった。
13年の首相就任後、対外関係や市場経済を重視し、構造改革を進めようとした経済政策は「リコノミクス」として国内外から注目された。しかし次第に権力を集中させた習氏は統制を強めて対外関係を悪化させ、経済政策でも李氏との不協和音が高まった。
李氏は20年春には「中国では月収1000元(約2万円)の人が6億人いる」と言及し、習氏が強調していた「脱貧困」の成果に疑問を投げかけた。新型コロナウイルス対策でも、22年春に上海市がロックダウン(都市封鎖)されて経済への影響が拡大するなか、李氏は過剰な防疫対策の合理化を主張。しかし習指導部は厳しい行動制限を伴う防疫措置「ゼロコロナ」政策を堅持し、同年末まで混乱が続いた。習氏の行きすぎた政策に歯止めをかける役目を担ったとの評価もある。
◆変わらぬ人気ぶりに当局は警戒、ネット監視も
日本との関係も深かった。18年5月の公式訪問では、北海道苫小牧市のトヨタ自動車の関連部品工場を訪れた。ある企業関係者は「水素技術に高い関心を持っていた」と話す。若いころにもたびたび来日し、小沢一郎衆院議員の岩手県の自宅にホームステイしたこともある。
最後の表舞台となった全人代の政府活動報告では、全体の半分以下に省略して演説するなど健康不安説もあった。一方、8月末には甘粛省敦煌で元気な姿を見せる動画がネット上で流れた。動画では歓声を上げる観光客に手を振り、変わらぬ人気ぶりもうかがえた。
急逝を受け、交流サイト(SNS)は「突然すぎる」などと驚きと悲しみであふれた。3月に首相を退いた際に「人の行いは天が見ている」と公務員を激励した言葉も改めてネット上で話題となった。習氏を批判した言葉とも受け止められ、当局が拡散を制限しているもようだ。国営中央テレビの夜のニュースは李氏の死去ではなく、習氏や李強首相の動静を先に伝えた。
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