1―不安の時代
1970年代を境に先進諸国の経済が成長鈍化局面に入ったのではないかという議論が活発となっているが、成長率の低下が醸し出す社会の停滞というイメージは、日常の生活実感に反するところがある。経済成長を測るために使われるGDPは、日本経済がどれだけのモノやサービスを生産したのかという経済活動の水準を表す指標で、人々の生活がどれほど豊かかを表すものではない。
GDPの成長率が示す以上の速度で我々の生活は変化している。インターネットが生活の隅々に入り込み、AI(人工知能)が人々の職業生活を全く変えてしまうのではないかという記事が身の回りにあふれている。社会の変化は鈍化するどころか、むしろ加速して目が回るほどだ。
生存競争の中では立ち止まっている生物はいずれ絶滅してしまい、生き残るためには常に進化し続けることが必要だ。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」では、赤の女王が「ここでは全力で走らないと同じところに留まっていられない」と言うのだが、現代社会では同じ位置にとどまっていることが難しくなった。先進諸国が抱えている問題は、経済が発展しなくなったことではなくて、急速な変化の中で今の生活を維持できるか人々が大きな不安を感じていることではないか。現代は停滞の時代なのではなく、急速な変化の中の、不安の時代と考えるべきなのではないだろうか。
人々の不安をさらに深刻にしているのは、かつて人々を守ってくれた制度や仕組みが非効率的だとされて徐々に縮小していることだ。
2―自助努力
冷戦の時代には世界が福祉国家に収れんして行くと考えられていたが、1980年代に入ると競争や自助努力が強調されるようになった。共産・社会主義経済の行き詰まりを目の当たりにして、競争が経済を発展させる原動力だという考えが広まり、敗者を救う仕組みは競争阻害的だと批判されるようになった。
生活の安定という要望に対して、経済発展を強調する人たちは限られたパイを奪い合うことでは問題は解決できず、パイを大きくすることこそが本質的な解決策だと言う。しかし、経済成長の恩恵は一律に分配されるわけではなく、成功者に暖かく敗者には冷たい。社会で成功している人達は、優れた才能の持ち主であるだけでなく、人並みはずれた努力もしている。しかし、同じように能力もあり、努力を重ねつつも成功に至らなかった人も大勢いる。栄光の座にたどり着く人は一握りで、紙一重の差で大多数の人はどこかで競争から脱落している。
社会の指導的な立場にいる人達は、人々に挑戦を勧め、進歩・発展を求める。こうした挑戦が社会を進歩させていることは確かだが、そのために自分が犠牲となることは誰ものぞまないだろう。難関に挑んで勝ち残ることができるという自信のある人はわずかで、多くの人達にとって幸福の基本的な要件は、明日も今日と同じような平穏な日々が続くことではないか。自信がなくても挑戦できるようにするためには、セイフティーネットが重要だ。
3―不安への対応
個人が生活の安心を確保する方法として、誰もが考えることは、万一の際に使える資産を積み増すことだ。昔は社会全体が貧しく、ほとんどの人はその日の生活を賄うことで精一杯だったので貯蓄をする余裕はなかった。貯蓄ができたのはほんの一握りの人達だけだった。経済が発展して社会全体が豊かになると、多くの人に生活のゆとりが生まれ、万一の際にそなえて貯蓄をする余裕ができた。
これは大きな福音だったが、同時に新たな災いの種にもなった。所得の一部が貯蓄されるということは、支出されず需要を生み出さないということだ。支出=所得=生産という、マクロ経済学の三面等価の原理からは、このような状態は維持できず、所得が減少してバランスが回復する。先進諸国の経済が低迷するようになった原因は、不安への対応で生まれた貯蓄の過剰ではないか。人々が不安に対処するために貯蓄をしている中では、政府がいくら消費喚起の旗を振っても大きく消費が伸びることは難しい。
そもそも、貯蓄で将来のリスクに備えるのは無駄が多い。長生きのリスクに備えて全員が100歳まで安心な資産を蓄積しても、ほとんどの人は100歳まで生きることはできず、多くの人の貯蓄は実は不要だったという結果になるからだ。
リスクを多くの人が分担する「保険」という仕組みが、需要不足を生まずに人々の不安を緩和するための鍵を握っていることを我々は再認識するべきであろう。
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March 06, 2020 at 08:24AM
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不安の時代ー過剰な貯蓄を回避する保険の意義 - 株式会社ニッセイ基礎研究所
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