
20歳で最初の夫と見合い結婚。5年後、年下の男性との恋愛に奔走した。そして、作家の井上光晴との道ならぬ恋を終わらせようと、51歳で出家を選ぶ。 寂聴さんは、本誌(AERA)に出家が人生最大の「捨てること」だったと振り返り、こうつづっていた。 <捨てることは、手に入れることよりもエネルギーがいる> そして、「捨てて後悔したもの」については、こうも明かしていた。 <私がこれまで生きてきて「捨てて」後悔してきたのは、子ども。私はもともと、お手本のようないい嫁だった。だけれど25歳の時、3歳の娘と夫を置いて、家を出た。小説を書きたい、才能を生かしたい、無知な女のままでいたくない。そういう一心で、不倫相手のもとに向かった> <男と女の間のことは五分五分だからどちらが悪いということはないけれど、無力で非力な子どもを捨てることはやってはいけない。当時も本当は連れて行きたかったけれど、女が一人で食べさせることはあの時代にできなかった。父親のもとにおいておけば、娘が食うに困ることはないと考えてのことだったけど、いまでも後悔は尽きない> 人間はなぜ、多くのものを持ちたがるのか。過剰な欲は、なぜ生まれるのか。当時91歳だった寂聴さんが明かした「捨てる哲学」とは。 * * * 人間は生まれてきたときから欲の塊。より良い豊かな暮らしをしたい、よりいい相手に巡り合いたいと、欲や煩悩が尽きないのは当たり前。それを捨てたら、穏やかな日常を送ることはできるかもしれないけれど、豊かな人生だとは言えないわね。 だから、捨てられないのは、人間だからとしか言いようがない。 だれかを愛するということにしても、無償の愛というのはなかなかないもの。無私を装いながら、根底では、相手に尽くしたい自分の欲を満たしているのに過ぎない。親から子どもへの愛も、期待にこたえてくれないと怒りに変わったり、なんらかの将来の見返りを期待していたり。でも、そんな欲深い人間だからこそ、それも含めていじらしい存在なの。
からの記事と詳細 ( 【追悼】瀬戸内寂聴さん 「子どもを捨てて後悔してきた」 生前明かしていた「過剰な欲」と捨てる哲学〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3knF1qL
0 Comments:
Post a Comment