彼は全世界のプレースタイルとプレーモデルを、根こそぎ作り変えてしまった。
ペップの愛称で親しまれるジョゼップ・グアルディオラ監督は、「完璧主義者」だと形容される。細部に拘る指揮官で、ゴールではなく、ゴールに至る過程が記憶に残ると考えているためだ。ペップは自身のメソッドを信じている。妄信している、とさえ言えるだろう。身振り手振りを交え、ジェスチャーで、選手たちに指示を送る。3-0で勝っていても、4-0で勝っていても、彼の探求心は留まるところを知らない。
勝利と敗北。その2つが、決定的に運命を分かつ。だがペップのチームに於いては、常にフットボールの質が議論の中心にある。ペップについては、「愛する」あるいは「憎む」のいずれかである。中間は、存在しないのだ。
■新システム
「我々は3-7-0のシステムで攻撃的に戦えるという事実を目の当たりにした」
2011年12月18日に横浜で行われたクラブ・ワールドカップ決勝後、サントスのムリシー・ラマーリョ監督は、そう語った。
対戦相手はバルセロナだった。ジョゼップ・グアルディオラ監督が指揮を執り、リオネル・メッシを中心に据えたチームは2010-11シーズンのチャンピオンズリーグを制して日本に乗り込んでいた。
決勝でグアルディオラ監督が送り込んだスタメンは驚きのものだった。GKビクトール・バルデスが最後尾で構え、最終ラインにエリック・アビダル、カルレス・プジョール、ジェラール・ピケが配置される。アンカーのポジションにセルヒオ・ブスケッツが入り、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガス、チアゴ・アルカンタラ、ダニ・アウベス、メッシが中盤で自由にポジションを入れ替えながら躍動した。
【3-7-0】という、FWの存在しないシステム。グアルディオラ監督が敷いた布陣は、まさにそれだった。
■役割を超越
ゴールを決めるというのが、FWの大きな役割だ。
だが、彼らのタスクはそれだけではない。相手CBの注意を引き付け、ディフェンスラインの裏に走り込み、スペースを空け、前線で起点にならなければいけない。この仕事を請け負う選手がピッチ上にいない中で、ペップ・チームは戦った。
一方で、中盤には激しい流動性がもたらされた。動かずにプレーしていたのは「4番」のポジションを与えられたブスケッツのみだった。
ただ、そこにはひとつの規則性があった。それは、全員がメッシの位置を見て動く、というものだ。メッシが右サイドから中央に入ってくれば、誰かが右サイドに流れる。メッシが引いてくれば、誰かが前方に出て行く。彼を追い越す。メッシが右サイドに流れれば、ほかの誰かが左サイドに行く。そうして、自由と規律が維持されていた。
それはポゼッションの祭典だった。対戦相手に、影を追わせる。それがグアルディオラ監督の狙いだった。マークを外しながら、パスを回してボールを動かす。そうして、相手のプレスの的を外し続けた。
■エキシビションの完結
かくして、グアルディオラのエキシビジョンは完結した。その戦い方は相手の戦意を喪失させた。歓喜を伴ってプレーするブラジルの選手たちでさえ、攻撃の意欲が衰えていた。中盤を牛耳ることが、勝利につながる。それを証明した。
バルセロナ対サントスの試合では、バルセロナの「ポジショナルプレー」が完璧に体現されていた。ただ、言えるのは、それはトップレベルの個と戦術理解度があって、初めて成り立つということだ。
思えば、ヨハン・クライフが監督を務めた「エル・ドリームチーム」と呼ばれたバルセロナで、舵取り役を任されていたのがグアルディオラだった。アンカーのポジションを定位置として与えられた痩身の男の中には、チームの中心にいるという快感と、背後に膨大なスペースがあるという恐怖心、そして自身のミスが命取りになるという重圧が共存していた。
その重圧を乗り越えた男が、指揮官として辿り着いた境地ーー。それはゼロトップの、究極の形であった。グアルディオラにとって、バルセロナでの監督としての13個目のタイトルには、高い付加価値がつけられていたのは言うまでもない。
※2020年4月29日に加筆修正
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September 11, 2020 at 09:21AM
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