商品の販売においては、推奨的要素を含むのが普通で、投資信託の販売においても、何らかの推奨や助言がなされているはずですが、それが顧客の利益に適うためには、いかなる要件を満たすべきか。
推奨の制限
商品の販売において、販売しようとする商品の推奨を含むことは自明であって、商品の広告や宣伝は、その商品の推奨そのものです。しかし、ある種の商品の販売においては、推奨に一定の規制、もしくは自主規制が課されています。典型的には、煙草の販売ですが、それは、過剰な喫煙のみならず、喫煙自体に健康への悪影響があることを否定できないからです。
金融でも、個人向け融資の宣伝に一定の制限が設けられているのは、顧客が過剰債務に陥らないように配慮されているからですし、証券会社の株式の勧誘行為について、様々な規制が存在するのは、例えば、特定銘柄についての推奨が同時に広範囲な顧客に対してなされれば、公正な株価の形成が阻害されるからですし、いわゆる過当勧誘や、株式投資に関する知識や経験の不足を悪用した勧誘がなされれば、顧客の利益が損なわれるからです。
投資信託と資産形成
投資信託の販売については、個別の投資信託の勧誘の問題よりも先に、最初に全体の概観を把握しておくことが必要です。なかでも、特に重要なことは、投資信託が資産形成の道具であり、国民の安定的な資産形成が金融庁の行政の目的とされていることです。
この背景には、高齢化が著しく進んだ社会において、豊かな老後生活のためには、最低生活保障としての公的年金だけではなく、国民の自助努力も欠かせないとの政府の見通しがあります。故に、国策として、国民の勤労期間中の資産形成を支援するために、税制優遇措置のある積立制度が導入されているわけです。
しかし、税制優遇措置は補助的な支援策にすぎないのですから、金融庁としては、広く一般的に国民の自助努力としての資産形成の普及を図りたいのであって、そのための重要な道具が投資信託である以上は、国民の利益を守るために、その販売の適正化、並びに、その運用手法の高度化について、重点施策に掲げて精力的に取り組むことになるわけです。
国策による投資信託の推奨なのか
政府として、国民の個人財産の運用管理に介入することは絶対にあり得ないはずですが、実際には、政府の立場から資産形成の重要性を説き、更に、その支援策まで実施すれば、事実上、預貯金に偏在する国民貯蓄について、投資信託への移転を推奨するのと同様の効果を生じています。
しかし、事態を正確に記述すれば、政府は、高齢化社会の現実と公的年金制度の限界に関する事実を提示し、長期にわたる積立投資の時間分散効果、および投資信託を使った投資対象の分散効果に基づいて、社会的に受容されている投資理論の有効性を提示しているにすぎず、それらの情報に基づいて、常識を備えた国民が自分自身で考えれば、自然な論理展開によって、合理的な選択として、投資信託による資産形成に至ると期待しているだけです。
事実上の推奨
相手の判断を誘導するために、事実と論理を提示することをもって、推奨というのではないか、これは完全に哲学の問題ですが、言語の意味は字面によっては一義的には決まり得ず、発話内容が完全に同じでも、発話される状況に応じて、異なる意味をもつのです。
例えば、強力な監督権限をもつ金融庁にして、金融機関に対して何々しないのかと問えば、極めて高い確率で、金融機関は、単純な質問とはとらえずに、何々しろという事実上の行政命令だと解するわけです。
現在の金融庁は、金融機関との対話を通じた施策の推進を行っているので、自己の発話内容が命令として、あるいは指導として受け取られないように、注意しているはずですが、監督官庁としての立場からの発話である以上は、話す側の意図した主旨と聞く側の解釈とは、異なることにならざるを得ません。
同様に、高齢化の著しい進展のなかで、政府の立場で公的年金に言及すれば、その言及が最低保障を確約するものであっても、国民は、ほぼ確実に、財政的な限界に対する注意喚起、即ち、公的年金の補完としての自助努力の推奨と受け取るはずです。
要は、結果的に事実上の推奨になるように、巧妙に発話することが重要なのです。実際、現実社会においては、商品を直接に推奨する稚拙かつ素朴な話法では商売にならないわけで、結果的に推奨となるような高度な営業話法を駆使することにこそ、商業の本質があるのです。あからさまにいって、商品の品質や価格における競争よりも、商品の営業話法における競争のほうが重要なのかもしれません。
個々の投資信託の推奨
金融機関として、資産形成の重要性が社会的に認知されているなかで、顧客に対して、長期間にわたる積立てによる時間分散効果や、投資対象の効率的な分散効果を説明し、投資信託による資産形成を推奨することは、極めて容易ですが、個別の投資信託の販売に直結しない限り、事業としては意味をなしません。
しかし、個別の投資信託の推奨となると、どの金融機関も、極めて慎重というか、警戒的な姿勢をとっていて、推奨という用語の使用すらせずに、むしろ、逆に、営業用の文書やウェブサイトの記載においては、推奨するものではありませんという注意書きを付すのが普通です。しかし、素直に考えて、明示的な推奨がなされていなくとも、何らかの事実上の推奨がなされているからこそ、投資信託の販売が可能になっているはずです。
いうまでもなく、法令等の諸規制の厳格な遵守のもとでも、個別の投資信託の推奨は可能です。逆にいえば、完全な法令遵守のもとで、顧客の真の利益に適う投資信託を提案することこそ、真の推奨です。しかし、真の推奨が可能だとしても、金融機関の立場としては、顧客が自らの判断で投資信託を選択すべきであり、その選択を支援してこそ、顧客の真の利益に適うと考えている、少なくとも建前としては、そう考えているのです。
巧妙な推奨
建前にすぎないとすれば、顧客の自己選択という外貌のもとで、実は、巧妙な推奨がなされていることになります。
第一は、投資信託を販売額の大きい順に表示することであって、これが一番の売れ筋の投資信託ですというのは、事実の表明であって、推奨ではないという考え方です。しかし、いいものだから、よく売れていると思い、また、多くの人の支持があることに安心感を覚えるのは、普通の顧客の心理です。
第二は、時流に迎合することで、現在、名称にESGやSDGsを含んだ投資信託が氾濫していることに象徴されます。顧客の心理として、メディアに頻繁に登場することがらに対して、未来への成長性を見出すのは自然の成り行きです。
第三は、AIという用語を付したロボットアドバイザーへの誘導であって、そこでは、参考情報として、ある情報の集合について、ある数学的手法を適用して解析された結果が提示されるわけですが、周到な注意書きにもかかわらず、顧客としては、それをAIという先端技術に基づく推奨と看做すに違いありません。
顧客が適切な投資信託を選べるために
では、金融機関として、建前通りに、顧客の自己選択を支援するとしたら、どうなるでしょうか。
資産形成とは、将来における家計支出に備えて、事前に計画的に原資を形成することですが、政府が想定している資産形成は、豊かな老後生活のためのものとして、最も計画期間の長い点に特色があって、投資においては、時間が長ければ長いほど、計画の合理性が高くなりますから、政府としては、安心して資産形成の普及を図れるのです。
このほか、国民の実生活においては、様々に異なる将来の所得の見通しのもとで、様々に異なる時間軸の上に、様々に異なる将来の消費目的が生じるわけですが、金融機関は、そうした家計の動態に即して、最も合理的な資産形成の計画を推奨すべきなのです。こうして具体的な計画が推奨され、同時に、その計画を実現するための一群の投資信託が過不足なく提示されるときにはじめて、顧客は自分に適合する投資信託を自己の判断において選択できるのです。
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